2-3 女ならだれでもよいのか?


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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)2-3  女ならだれでもよいのか?

 では、女ならだれでもよいのでしょうか?
 この問いに対するわたしの答えは「女ならだれでもよいわけではない」です。なぜなら「女である」というだけで、手を組む理由がなにも見つからないからです。
 女ならだれでも、「権力指向ではない」のでしょうか。女ならだれでも「権威主義ではない」のでしょうか。女ならだれでも「弱い立場の人を大切にする」のでしょうか。女ならだれでも「ジェンダーの視点がある」のでしょうか。女ならだれでも「ひとを差別しない」のでしょうか。女ならだれでも「環境を大切にする」のでしょうか。女ならだれでも「利益誘導しない」のでしょうか。女ならだれでも「市民自治をめざす」のでしょうか。女ならだれでも「体制を変えたい」のでしょうか。
 わたしの答えはすべて「NO」です。では、男はすべてダメなのでしょうか。前項のすべての答えは、やはり「NO」です。
 女性議員をふやす運動にかかわると、「まず女性がひろく手をつなぎ、女性議員の数をふやそう」そして「女性議員がふえてから質を考えよう」という議論がかならず出てきます。この議論に反対すると、「ココロがせまい」「女の足をひっぱる女のテキ」と言われます。わたしは6年間、女がつながる可能性を運動の現場で模索してきましたが、いまはそこからはなれ「無党派・市民派」でつながる道を選びました。
 ただ女性議員の数だけがふえても、「女性差別を受けいれ容認し、強いものが弱いものを支配する現在の体制に賛成する」「政党に所属し、組織の論理を優先する」女性議員であれば、なにも現状はかわりません。むしろ現体制を補完し、既存の権力構造にはいり、男性議員といっしょに無党派・市民派議員を抑圧する側にまわるだけでしょう。
 政党という制度のなかで政党を変えようとガンバッテいる少数派の女性議員を否定するつもりはありません。また、党派を問わず、ひろく女性議員をふやす運動を否定するものではありませんが、そういう人たちには、まず自分の所属する政党や組織の改革をやっていただきたいものです。
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