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上野千鶴子さん発「闘って得たものは闘って守り抜く」に続いて、『インパクション』154号の特集《反撃するフェミニズム》にから転載したわたしの記事です。
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公的な手続きと手法を駆使して
       「福井発・焚書坑儒事件」でたたかう
                       寺町みどり

 5月1日「ジェンダー関連の図書約150冊が『福井県生活学習館』の書架から排除された」という情報が飛びこんできた。「ひとごとではない」と強いいきどおりを感じた。
 著書10数冊が排除本に入っているとされた上野千鶴子さんからもメールが届き、福井県敦賀市議の今大地はるみさんと、行政手続きに詳しいつれあいの知正さんと対応を相談した。療養中の今大地さんは「問題をみすごすことはできない」と抗議行動を起こす決意をしていた。わたしは、彼女と行動をともにすると心に決めた。
 5月2日、まずは事実関係をおさえようと、「図書排除に関連するすべての文書」を情報公開請求した。同時に、当面の目標を「図書を書架に戻させる」と定めた。そうとなれば話しは早い。「住民監査請求と抗議文」提出のダブルアクションを起こすため賛同者を呼びかけた。
 5月11日、今大地さんが福井県に対して「住民監査請求」と「抗議文」(2団体44名)を提出した。「図書代金の全額返還もしくは書架への復帰」を求めた監査請求は職員にはかなりのショックのはず。これで図書は戻るだろうと思っていたら「本は元に戻す方針」と翌日の新聞に載った。わたしたちが行動を起こさなければ、図書はひそかに処分されていただろう。5月16日、図書はぶじ書架に戻った。
 5月18日、わたしたちの抗議文に対し、福井県知事から「個人に対する誹謗中傷や他人の人権の侵害等公益を著しく阻害するような内容がないかなど再確認を行いましたが、著者の思想的、宗教的、政治的活動について確認したわけではありません。・・・現在は、当該図書の確認作業を終了し、全ての書籍を元の書架に戻しております。・・・」と図書の排除を正当化する回答が文書で届いた。一連の「公権力の検査=本の内容を確認する行為」自体が、憲法で禁止されている「検閲」にあたる。図書の排除は、思想・表現の自由の侵害である。
 公文書の公開決定は1カ月延期され、6月16日、404枚の公文書が届いた。内訳は「書籍リスト」は「非公開」。意思決定文書や検討文書などはすべて「不存在」。「不存在は納得できない」と抗議すると、「文書はある」という。書籍リストの「非公開」も取り消され、「一部公開決定通知書」と経過が分かる公文書10枚、「黒塗りリスト」5枚が届いた。当事者の上野さんにも150冊の図書リストの非公開を伝え、訴訟を前提に4人の連名で呼びかけて、6月26日、著者や編集者、議員など21人で「約150冊の書籍リスト」を情報公開請求した。
 7月7日、「書籍リスト」は「黒塗り」で公開された。(公開しない理由)は、「公にすることにより、個人の権利利益を害するおそれがあるため」「公にすることにより、事業を営む個人の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあるため」。非公開は著者の権利を侵害する。決定を不服とするわたしたちは訴訟の準備をはじめた。
 7月27日、図書リストの公開を求めて「情報非公開処分取消訴訟」を、1カ月後の8月26日に提起することを公表した。原告は上野千鶴子さんを代表とする20人。
 8月11日、福井県からとつぜん電話があり「153冊の図書リストを公開する」という。リストは、当事者の請求人に公開する前に公表する予定というので強く抗議。福井県の唐突でイレギュラーな処分変更に対し、即日「抗議文」と「公開質問状」を送付した。「153冊の図書リスト」が公開された時点で、勝てると確信していた提訴は「まぼろしの訴訟」となった。処分の違法性を、司法の場で争えなかったのは残念だが「所期の目的は達成できた」。変更理由は、本来なら「県の条例解釈に間違いがあったから非公開処分を取り消す」となるはずだが、理由はうやむや。訴訟を回避したいというのが本音だったのだろう。
 集会前日の8月25日午後、福井県から、公開質問状の回答と、37冊のあらたな排除リストと「図書選定基準」がFAXで届いた。リストは4月に推進員が排除せよと持ち込んだもので、要求したら任意提供された。このリストが任意公開できるなら、そもそも153冊の「非公開」もなかったはずだ。
 8月26日、「提訴集会」を変更して、福井市内で「ジェンダー図書排除問題を問う」と題して抗議集会を開催した。今大地はるみさん、知正さん、わたしの3人が事件の経過と問題点を報告し、原告団代表の上野千鶴子さんが「わたしたちの勝利」と宣言。福井県内外から参加した180人のあつい思いが結集した3時間。ほんとうにやってよかった。
 8月29日、福井県知事に対し、集会で提案した「福井県男女共同推進条例」20条2項に基づく「苦情申出書」を「『ジェンダー図書排除』究明原告団および有志」80名(42人は福井県民)で提出した。
 公開された公文書を精査すると、以下の事実が浮かぶ。
 「昨年11月1日、男女共同参画推進員からの『生活学習館のすべての図書について内容を確認し、不適切なものは排除するように』との苦情申出に、県は28日『情報の提供は学習する上で必要である』と文書回答し、申出を却下。その後、推進員は190冊の書籍リストを作成。今年1月に153冊分のリストを持参し、その後何度も排除の申し入れをくり返した。県は3月下旬になって、153冊の図書を書架から撤去した。4月にはさらに37冊の排除も求められたが拒否。5月に図書排除への抗議を受けると、153冊の内容を『個人への誹謗や中傷や人権侵害、暴力的表現などの公益を著しく阻害するものがないか』検閲し、5月15日、問題がないとしてすべての本を書架に戻した」。
    *   *   *
 法律は、どのような理由であれ、蔵書を公的施設から撤去することを認めていない。この事件が起きて以来、わたしは情報公開請求の当事者として、県職員と話し合いを続けてきたが、場あたり的な対応と無責任さにあきれている。図書排除は、一推進員の圧力に屈したというよりは、むしろその場のがれの行政の事なかれ主義と隠蔽体質が引き起こしたというべきだろう。国と自治体は、法的には対等な関係で、福井県の政策は「条例」が根拠であり、図書の選定に国の権限は及ばない。「国の方針変更に従った」というのは、福井県の失態である。そもそも、現場の職員が、法令を遵守して、勇気を持って毅然とした対応をしていれば事件は起きなかった。
 わたしたちは今回の事件に「福井発・焚書坑儒事件」となづけ、迷走する福井県に対して、有効な手法を選択しながらたたかってきた。勝因は、メンバーの役割分担とチームワークのよさ、合意形成がはやかったこと、制度を熟知してタイムリーに動けたことだと思う。MLやブロクを駆使しての情報発信も役だった。現行制度は、表現の自由や基本的人権を守り、「男女共同参画」政策を推進するものだ。数はあるに越したことはないけど、バックラッシュ派のやり口は法に抵触している場合が多いので、制度を味方につければ、少数の市民でもできることは多い。
 国や地方の権力に抵抗するには、まず「わたしがノーということ」。情報公開制度を使って、なにが起きたか事実関係を精査し、問題を特定することによって、有効な解決方法を選択することが可能になる。
 図書排除事件は福井県だけの問題ではない。図書や講師の選定に対する圧力は、全国どこでも起こりうることだ。事件はいつも、わたしたちの足元で起きる。バックラッシュに対抗するには、わたしたち市民が「行政監視の手法」を身につけて、公的な手続きを駆使して、自治体(行政や議会)にはたらきかけることが不可欠だと思う。
 わたしは行政のカベにぶつかり続け、いま「政治を変える」運動にかかわっている。市民運動は、あらゆる政策において、権力に対峙し「バックラッシュ」や声高に叫ぶものに対し、着実に「正攻法」の異議申し立ての運動と経験を積み重ねてきた。現行の法や制度には限界もある。けれど、力を持たない市民として、制度を熟知し有効な手法を選択しながら一つひとつの出来事にていねいに対応していきたいと思っている。 
 「わたしの(まちの)ことはわたしが決める」。直接民主主義の法や制度をつかった個人のネットワークが、上意下達の中央集権的な動きに対抗できることを女たちに伝えたい。
 わたしは未来に対して楽観も悲観もしていない。仲間とともに「いまここで」わたしにできることを実践していくだけだ。いままでも、そして、これからも。
 (『インパクション』154号・特集《反撃するフェミニズム》より転載)
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by midori-net | 2007-01-03 10:40 | 活動
あけましておめでとうございます。

ブログの更新をずいぶんサボっていました。
ブログを3つも管理しているので、どうしてもメーンのブログばかり更新することになります。
とはいえ、今年4月は統一自治体選挙の年なので、一味変わった記事を工夫したいと思います。

みどり
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by midori-net | 2007-01-01 10:17 | 活動
朝から、ハートフルスクエアGで「む・しネット」スタッフ会。
5月13日の公開講座「勝てる選挙 市民派議員をふやそう」と、
7月8日(土)に浅野史郎さんを講師に招いての、
シンポジウム「政治を市民の手に!~ひとりからはじまる」の
準備から当日までの詳細を決めた(あらためて報告します)。
あとは、浅野さんから、基調講演「脱政党の時代に(仮)」と
パネルの「わたしたちに何ができるか」のOKをもらうだけ。
いそいでチラシを作って全国に情報発信して、
名古屋市女性会館大ホールの350人を
なんとか満員にしたいね、といいながら別れた。
10時半から6時半のながーいスタッフ会だったのですが、
なんとか具体的な形になってホッとしています。

という訳で、事務局のわたしはここ数日レジメづくりなどで、
バタバタしてたのですが・・・(と言いわけ)・・・・

お待たせしました。やっと3月25日の
「ジェンダー概念を話し合うシンポジウム」
の報告ができます。

このシンポは、「上野千鶴子さん講師拒否事件」をきっかけに
東京都への抗議文(賛同署名1808筆)を呼びかけた
研究者の皆さんが中心になって企画され、
港区のリーブラ(港区男女平等推進センター)で開催。

結論からいえば、
長丁場にもかかわらず、会場は参加者の熱気にあふれ、
「問題意識が共有できて、行ってよかった!」

25日は、4時半起床。5時過ぎに車で岐阜駅まで送ってもらい、
名古屋駅で三重県のまみさんと待ち合わせ。
6時40分の新幹線でいざ東京へ。
品川駅に早くつき過ぎたので、サザコーヒーで朝のお茶。
9時過ぎには会場に着いたのですが、整理券はすでに28番。
前日から泊まった岐阜県の友人の姿も。

「猫のシッポ」のわたしはチラシ配布と情報発信くらいで、
準備をなにも手伝えなかったので、
開会までちょこちょこっと、まみさんと裏方のお手伝い。

10時から、細谷実さんと赤石千衣子 さんの司会で開会。
江原由美子さんと井上輝子さんのお二人は、
研究者の立場から「ジェンダー概念」の基本的なお話し。
聴くだけでは難しい話も、豊富な資料が理解の手助けをしてくれます。

圧巻は、若桑みどりさんのパワーポイントを使っての
「バックラッシュの流れーなぜジェンダーは狙われるのか 」。

この方のことばには、ちから(説得力)があります。
1月27日に、抗議文を渡した後の記者会見でも
「上野さんを孤立させないために行動を起こしました」という
若桑さんのことばに感動しました。
たった20分で、今わたしたちが経験してるバックラッシュを
歴史家の立場から、豊富な資料とともに検証し、
政治的背景とともに、見える形にしてくださいました。
この話しだけでも、東京まで来たかいがありました。

並んで座っていた「む・しネット」スタッフの3人と、
「若桑さんを名古屋に招いて、もっとじっくり聞きたいね」。

1月27日の「抗議レポート」はこちらから。

つづいて、匿名の教員のおふたりから、
「ジェンダー・フリー」教育の現場からの報告。
昼食をはさんで、
国分寺市民で今回の発端の事件の関係者でもある、
丹羽雅代さんから「市民と行政と学界のはざまで」。
現場からの報告は、さすが迫力があります。

最後の、加藤秀一さんは
「ことばは生きている~よりよき相互理解のために」。
このテーマでどんなふうにまとめるのか興味津々でしたが、
ジェンダー概念」などそれまでの話を交えて、
やさしいことばで、すっきりと整理して話されました。 

ここまでが予定されたパネル。
この後からが、シンポの目玉の全体討議、
いわゆるフリーディスカッションです。

会場からの発言は、2時から5時半まで、
ジェンダー概念から、ジェンダーフリー教育、
婚外子差別の問題提起など多様な意見がありました。
やむにやまれぬ思いの現場の当事者や市民、
研究者、教員から、と途切れることなく続きました。

満席の会場は、熱気あふれるもので、わたしの知っている
東海3県からはもちろん、福島、大阪、岡山からの参加者もあり、
バックラッシュを「なんとかしたい」という思いの強さを
はだで感じながら、濃密な時間をすごしました。

発言をすべて紹介できるとよいのですが、
長くなるのと個人情報との関係もありますので、
シンポが「本になる予定」とアナウンスがありましたので、
参加した人も、しなかった人も、ぜひ「買って」お読みください。

ところで、会場では何人かの参加者から、
「上野さんは来てみえないの」と尋ねられましたが、
ディスカッションの最後のほうで、シンポ事務局から、
上野さんからのメッセージが読みあげられました。

上野さんからのメッセージ________________

東京都のみなさんへ

 上野の講演を聞いてみませんか? 都の主催または共催の事業に上野
を講師に呼んでください。テーマは「男女平等社会をつくる」。企画が
実っても、実らなくても、経過をすべて情報公開しましょう。
ご相談したい方は上野までeメールで。
(ueno@l.u-tokyo.ac.jp)
_______________________________________________________________

うわっおもしろい展開になりそう。
東京都民でないのが、残念(笑)。

「東京都に抗議する!」はこちらから。

「上野さん講師拒否事件」への憤りは、
わたしにとっても、他人事とは思えないはげしいものでした。
その怒りと、問題意識をきっかけに、さまざまな思いを
ひとつのかたちとして結集させたシンポジウムの成功は、
地方の現場にいるわたしにとっても大きなものです。
このシンポで受け取ったエネルギーをちからに、
わたしが立っている足元からバックラッシュを跳ね返したいですね。

短期間で、このシンポジウムを企画し、
実現させてくださった実行委員のみなさん、
パネラーのみなさん、ご苦労様でした。
そして、
心に残るよいシンポジウムをありがとうございます。

最近起きた関連の出来事「てらまち・ねっと」へ。

日曜日の朝日新聞「読書」欄に掲載された上野千鶴子さんの最新刊
『生き延びるための思想 ジェンダー平等の罠』(岩波書店/2006)
の書評も紹介します。

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        生き延びるための思想 ジェンダー平等の罠/上野千鶴子著

 ひとつの偽造メールで大混乱をきたした先日の国会だが、ひとつの重要な概念「ジェンダー」(性差)をめぐる保守派の曲解と事実の捏造(ねつぞう)については、何ら問い直さぬままだ。フェミニズムの抑圧の風は、ますます強まろうとしているかのように見える。
 そんな状況下、論争の達人・上野千鶴子は、湾岸戦争以後の過程で思索した「女性兵士」の投げかける様々な問題を皮切りに、ナショナリズムがいかにヒロイズムによって個人を切り捨てる「死ぬための思想」であったか、いっぽう フェミニズムがあくまでも戦争にもテロにも加担せず、民主主義の罠を回避しようと試みる「生き延びるための思想」であるかを、力強く説く。
 独自の理論から概念定義をめぐる論争、今日の国家と性差を考えるための必読書の紹介、自己解題を兼ねた末尾のインタビューまで、著者が新しい思想たりうる「 新しい言葉」を希求する姿勢は、読者に深い感動を与えてやまない。
 巽孝之(慶応大教授)
(2006/3/26朝日新聞・読書 )
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PS:
あすは、ハートフルGで「プロジェクトb」の
『老いる準備 介護することされること』
(上野千鶴子著/学陽書房/2005)の読書会。
4月からはじめて、今回で最終回を迎える。

あたらしいテーマ本は、もう決まった。
『生き延びるための思想 ジェンダー平等の罠』
(上野千鶴子著/岩波書店/2006)。
『生き延びるための思想 ジェンダー平等の罠』(2/11記事)
いままでは、メンバー限定でつづけてきたけれど、
4月からは「む・しネット」の自主企画として、
6年目の「読書会」をスタートする。
いっしょに読みたい方は、ご連絡ください。

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by midori-net | 2006-03-26 04:34 | 活動
 この事件は国分寺市が「人権教育推進のための調査研究」事業の基調講演に、
上野千鶴子さんの「当事者主権」講演会を企画したことからはじまる。

 事業の趣旨は、国の「人権尊重社会の実現に向け、「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)に基づき、社会教育における人権教育を一層推進するために人権に関する学習機会の充実方策等についての実践的な調査研究を行う」ものである。

 新聞報道によると、東京都は、上野さんが講演のなかで、東京都が「使わない」と通達まで出している、「ジェンダーフリー」という用語を使うのではないか、と危ぐして、国分寺市に圧力をかけたらしい。
 結果として、講演会だけでなく、この「人権を考える講座」自体が実施できなくなった。東京都の意志がはたらかなければ、講座は予定通り開かれたはずであり、国分寺市民は「人権」について学び考える機会を失った。この事実は重大だ。

 都の言い分については、以下のような新聞報道がある。
 この記事の都の主張を元に、上野千鶴子さんが「ジェンダーフリーという用語を使う可能性があるのか」「この事業の趣旨にそう講師なのか」の両面から検証してみたい。

上野千鶴子氏、都に抗議「用語統制に介入した」1/30アサヒ.コム

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 都教委は04年8月に決めた「『ジェンダーフリー』という用語を使用しない」という見解を示し、「講座がその方針に反するなら実施できない」と念押しした。市は「講座でジェンダーフリーという用語や、関連する内容が出る可能性が否定できない」として提案を取り下げたという。(2006/1/28朝日新聞)
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 事業を担当した都教委社会教育課は「都が委託するモデル事業である以上、都の見解に反した事業は実施できないと伝えた。中止は市が判断したものであり、都として拒否はしていない」と話している。(2006/1/28同朝日新聞)
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 「ジェンダーフリー」という用語について、事業を委託した東京都教育庁は「男らしさや女らしさをすべて否定する意味で用いられることがある」として使用しないことにしている。「講座でこの用語が使われる可能性があるなら実施できない」との判断を、同市に示したため、同市が提案を取り下げていた。(2006/1/31朝日新聞)
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 東京都教育庁の担当者は「ジェンダーフリーという言葉だけを問題にしたわけではなく、都の事業の趣旨にそうものかどうかの確認を市に求めた」と説明している。(2006/1/31同朝日新聞)
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1.まず、上野さんが「当事者主権」をテーマに話したり、書いたりする場合、「ジェンダーフリー」という用語を使うことがあるのか検証してみた。

1)上野さんは自著の『当事者主権』(岩波書店/2003.10)のなかで、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。

2)2004年12月、上野さんは、NHK教育の「福祉ネットワーク」という番組で「社会を変える“当事者”たち」というテーマで、当事者主権について話している。
この番組は大変な反響をよび、再放送までされた。わたしの回りでもビデオを撮ったひとが多いが、上野さんは番組のなかで、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。番組のなかでは『当事者主権』の本も紹介している。
以下は、その番組の記録のHP。
NHK福祉ネットワーク「社会を変える“当事者”たち」
(2004/12.24上野千鶴子×町村アナウンサー)


3)2005年3月26日、岐阜市内で、上野さんの「当事者主権 私のことは私が決める」という講演会を開催した。この日の資料でも講演でも、上野さんは、「ジェンダーフリー」という用語を使っていない。
いよいよ明日「当事者主権」講演会(2004/3/25付記事)

 以上のように、上野さんは、人権講座のテーマの「当事者主権」では「ジェンダーフリー」という用語を使う可能性はまずない。

2.では、上野さんは「当事者主権」以外では、「ジェンダーフリー」という用語を使うことがあるのだろうか? 
わたしは、4年前から上野さんの本の読書会をしているが、上野さんの著作のなかで「ジェンダーフリー」という用語を見たことがない。
 この事件がおきてから、あらためて、ここ数年の本を元に、実際に「ジェンダーフリー」という用語が使われているのか、いないのかを、一冊ずつ検証してみた。

『当事者主権』(岩波書店/2003.10)
『老いる準備 介護することされること』(学陽書房/2005.2)
『結婚帝国 女の岐かれ道』(講談社/2004.5)
『ことばは届くか』(岩波書店/2004.7)
「ジェンダーフリー」という用語は使っていない。

『脱アイデンティティ』(勁草書房/2005.12)
『差異の政治学』(岩波書店/2002.2)
『現代の理論』「フェミニズムをリアルに生きる」(明石書店/05秋)
『現代思想』「ケアをすること/されること」』(青土社/05.9)
「ジェンダーフリー」という用語は使っていない。

『サヨナラ学校化社会』(太郎次郎社/2002.4)
『at あっと』0号「生き延びるための思想」(05.5) 
『at あっと』1号、2号「ケアの社会学」
「ジェンダーフリー」という用語は使っていない。

3.本のタイトルおよびテーマに「ジェンダーフリー」という用語がつかわれているのは、以下の2冊である。

『ジェンダーフリーは止まらない-フェミニズムバッシングを超えて』は、辛淑玉さんとの共著だが、辛さんと上野さんは「ジェンダーフリー」という用語は使っていない。なお、本の「刊行にあたって」に「『してはいけないジェンダーフリー?」』という設立集会のタイトルは2000年12月に某新聞紙上で繰り広げげられたフェミニズムバッシングのキャンペーンのタイトルをもじってつけたもの」との主催者の言葉がある。

『We』2004年11月号のインタビューのタイトルは「ジェンダーフリー・バッシングなんてこわくない!」。
この中で、上野さんは、「ジェンダーフリー」という用語について、どのように考えているのか、以下のように述べている。
「・・・・ですから、「ジェンダーフリー」は、まず第一に研究者の使う用語ではなく、そして第2に法律用語でもありません。主として行政関係者が使ってきた用語なのですね。わたし自身は、「ジェンダーフリー」は嫌いだし、使いません。なぜかというと、日本語で定着しておらず、なじみもないカタカナ用語をあえて使う理由がまったく理解できないからです。ジェンダー研究の分野での英語文献でも、「ジェンダーフリー」はなじみがありません。わたしは英語文献をたくさん読んできましたが、出会ったことがありません。・・・・・(P5~6)」

4.以上からわかるように、そもそも、上野さんが「ジェンターフリーという用語を使うかもしれない」という、東京都(と国分寺市)の前提と判断そのものが間違い。東京都の言い分は、「事実無根の言いがかり」としか言いようがなく、理由もなく上野さんを排除したものである。
東京都は、「当事者主権」講演会で、上野さんが「ジェンダーフリー」を使う可能性があるという根拠を示すべきだ。

5.つぎに上野千鶴子さんが、「この事業の趣旨に沿う講師なのか」を、この事業の法的な趣旨に照らしあわて、検証してみたい。

この事業は文部科学省が都教委に委託し、都教委が市町村教委に再委託している「人権教育推進のための調査研究事業」。国分寺市は昨年、公募の市民も参加して企画した「人権を考える講座」の開講を事業提案することにした。「当事者主権」をメーンテーマに、「高齢化社会」「子ども」などを題材に計12回を計画。基調講演の格子を上野教授に依頼する予定だった。(2006/1/28朝日新聞)

1)この事業は文部科学省の「人権教育推進のための調査研究事業」で、「国が東京都に委託、都が国分寺市に再委託」する形のものです。
 以下は「人権教育推進のための調査研究事業 実施委託要綱(案)」です。

 この「実施委託要綱(案)」は、「1趣旨 人
権尊重社会の実現に向け、「人権教育・啓発に関する基本計画」(平成14年3月閣議決定)に基づき、社会教育における人権教育を一層推進するために人権に関する学習機会の充実方策等についての実践的な調査研究を行う。」 「2 委託先(1)都道府県教育委員会又は指定都市教育委員会等、(2)都道府県教育委員会と市町村教育委員会を中心に組織する協議会」となっています。

 さらに、「13その他」に、 
(1)文部科学省は、委託先における事業の実施が当該趣旨に反すると認められるときは必要な是正措置を講ずるよう求める。  
(2)文部科学省は、本事業の実施に当たり、委託先の求めに応じて指導・助言を行うとともに、その効果的な運営を図るため協力する。
(3)文部科学省は、必要に応じ、本事業の実施状況及び経理状況について、実態調査を行うことができる」となっています。

2)また、「平成17年度『人権教推進のための調査研究事業』(運用指針)「によると、
1,2は同じですが、「3 事業の内容 (2)モデル事業の実施
 下記の研究事項、人権課題、対象を組み合わせ、モデル事業の実施による検証等を行いつつ、実践的な調査研究を行う。
[研究事項]:人権に関する学習機会の充実方策
      :学習意欲を高める参加体験型学習プログラムの開発、普及方策
      :人権教育に関する指導者研修の充実方策
      :人権教育に関する情報提供の在り方、関係機関との連携方策など
[人権課題]:人権一般、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題、アイヌの人々、 外国人、H IV感染者・ハンセン病患者など
[対  象]:一般、幼児、少年、青年、成人一般、高齢者、保護者、外国人、行政関係者、社会教育指導者など 」となっています。

3)以下は、委託事業の基本となっている「人権教育・啓発に関する基本計画」です。基本計画は、法務省「人権擁護局」の所管で、各省庁が施策の実現のための事業を実施しています。
 この「人権教育・啓発に関する基本計画」「は、以下の「人権教育及び人権啓発の推
進に関する法律」(人権教育・啓発推進法)
に関する、総合的・計画的な推進を計る
ための策定されたものです。この法律は、法務省と文部科学省の共管です。

4)以上のことから、この事業は人権教育推進のために全国の自治体に広く開かれたもの。上野さんは「女性」「高齢者」「障害者」「外国人」など、さきに紹介したなかでも、これら人権課題に関する本をたくさん著している。
 よって、事業の趣旨や基本計画、法律にてらしあわせても、上野さんが講師として不適任と判断する理由および根拠ははまったくない。
 都の担当者は、「都の事業の趣旨にそうものかどうか」と発言しているが、そもそもこの事業は、都の事業ではなく国の事業である。都も委託先の自治体の一つでしかない。つまり、委託を受けた都には、要綱と法の趣旨に従う義務があり、恣意的な判断や行為は許されない。
そもそも、言論および思想・学問の自由は、憲法に保障された基本的な権利である。東京都が、講師の思想、学問、言論の自由に制限をくわえようとすること自体が、「人権推進」に反する行為である。
法および事業の趣旨に反しているのは、東京都のほうだ。

6.最後に、『当事者主権』の結びの言葉は、以下のようです。
 女性運動や性的マイノリティの運動も、その運動がターゲットとしている差別がなくなれば、歴史的使命を果たして、消滅する運命にある。
 私たちは、性、年齢、障害、職業、民族、人種、国籍、階級、言語、文化、宗教等による差別のない社会を求めている。移動の権利、居住の権利(施設か在宅か)を選べる権利、必要な時に介助を受ける権利、働く権利、働かない権利(必ずしも資本主義下の生産活動のみが労働ではない、子どもや高齢者のお世話をしたり、環境をよくする運動も労働といえる)を求めている。時代はいま、包括的な差別禁止法を求めている。
 そのために、全世界の当事者よ、連帯せよ。」


上野千鶴子さんは、国分寺市「人権教育推進のための調査研究事業」の講師として最適任者である、とわたしは思う。
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by midori-net | 2006-02-01 05:09 | 活動
「上野千鶴子さんの講演を東京都が拒否」に対し、
研究者のみなさんが呼びかけ、市民もいっしょになって
広く抗議署名がはじまっています。

国分寺市民の実行委員会が企画していた
人権講座の講演は「当事者主権」です。

そもそも、このブログは昨年3月26日にひらいた
上野千鶴子さんの「当事者主権」講演会のために
つくったものですから、わたしとしても、
東京都の暴挙に、つよいいきどおりを感じています。

東京都に抗議する!署名はここから。

この署名は、だれでもできます。
署名の第一次締め切りは、
1月26日正午です。


趣旨に賛同される方は、
東京都に抗議する!
のURLを、ぜひ
「あなたのブログにリンク」
「友達にメールで送る」
「HPにアップする」などしていただいて、
この署名をひとりでも多くの人に広げてください。


以下は、抗議文の全文です。
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東京都知事         石原慎太郎 殿
東京都教育委員会 教育長  中村 正彦 殿
東京都教育委員会 各位

                抗 議 文

上野千鶴子東大教授の国分寺市「人権に関する講座」講師の拒否について、
これを「言論・思想・学問の自由」への重大な侵害として抗議する

1 言論の自由の侵害について

 報道によれば、今回の拒否の一因として、同教授がその講演において「ジェンダー・フリ-という言葉を使うかも」という危惧があった故だとされている。ひとりの学者/知識人がその専門的知見において、その著書または講演のなかでいかなる用語を用いるかは、学問・思想・言論の自由によって保証されている。学問・思想・言論の自由は、民主主義社会の根幹であり、なんぴともこれを冒すことはできない。
 まして、その講演が開催され、実際に発話されたのではないにもかかわらず、その用語が発せられるだろうという“憶測”によって、前もってその言論を封じたということは、戦前の「弁士中止」にまさる暴挙であり、民主憲法下の官庁にあるまじき行為である。
 このような愚挙がまかり通れば、今後、同様の“憶測”、”偏見 ”に基づいて、官憲の気に入らぬ学者/知識人の言論が政治権力によって封殺される惧れが強くなる。日本が戦前に辿ったこの道を行くことをだれが望むであろうか。それが日本の社会に住むひとびとの幸福な未来を描くと、誰が思うであろうか。

2 学問と思想の自由の侵害について

 ジェンダー理論は国際的に認知された思想・知見・学問である。現在欧米及びアジアの主要大学において、ジェンダー理論の講座を置かない大学はなく、社会科学、文化科学の諸分野でジェンダー理論を用いずに最新の研究を開拓することは困難である。
 いっぽうでは、それは1975年、第一回世界女性会議以降、世界のいたるところで太古から実行されてきたあらゆる種類の女性への差別を撤廃し、人間同士の間の平等を実現するという国際的な行動と連動し、その理論的な基盤を提供してきた。学問と社会的改良とは両輪となって人類の進歩に貢献してきたし、これからもそうである。
 しかしながら、「ジェンダー理論」は、同時期に国際的に認知された「ポストコロニアル理論」と同様に、3~40年の歴史しかもっていない。したがって日本の人々のあいだにその用語および理論への理解が定着するにはまだまだ時間がかかるであろう。
 しかし、それは喧伝されているように「日本の伝統に反する」「外国製の」思想ではない。なぜならば、すでに明治時代からわれわれの先輩たちは、女性もまた参政権を得るために、また女性としての自立権を得るために血のにじむ努力をしてきたからである。この人々は新憲法によってその権利を保証されるまでは、弾圧と沈黙を強いられてきた。いまだに、在日朝鮮人をはじめとする外国籍市民は、参政権すら得ていない。日本の、また世界のひとびとが平等な権利を獲得するための、長い旅程の半ばにわれわれはいる。
 そのようなわれわれ自身の知見と努力の歴史の上に、国際的な運動のうねりと学問の進歩によって、われわれは国際的な用語としての「ジェンダー」とその問題を解明し、解決することをめざすジェンダー理論を獲得したのである。思えば、日本社会に生きるわれわれは、常に有用な智恵を世界に学び、これを自己のうちに内在する問題と融和させ、独自のものとして実践してきたのではなかったか。そこにこそ日本の社会の進歩があった。女性学・ジェンダー研究者は、今まさにそのために研鑽、努力している。その教えをうけた無数の学生、教育現場で実践する教師、地域で活動する社会人は、グローバルな運動の広範な基盤をなしている。上野氏はその先駆的なひとりである。今回の事件についてわれわれは強い危惧の念を覚えている。先人の尊い努力によってようやくに獲得できた思想、学問、行動の自由の息の根を止めさせてはならない。

3 ジェンダーへの無理解について

 ジェンダーは、もっとも簡潔に「性別に関わる差別と権力関係」と定義することができる。したがって「ジェンダー・フリー」という観念は、「性別に関わる差別と権力関係」による、「社会的、身体的、精神的束縛から自由になること」という意味に理解される。
 したがって、それは「女らしさ」や「男らしさ」という個人の性格や人格にまで介入するものではない。まして、喧伝されているように、「男らしさ」や「女らしさ」を「否定」し、人間を「中性化」するものでは断じてない。人格は個人の権利であり、人間にとっての自由そのものである。そしてまさにそのゆえに、「女らしさ」や「男らしさ」は、外から押付けられてはならないものである。
 しかしながら、これまで慣習的な性差別が「男らしさ」「女らしさ」の名のもとに行われてきたことも事実である。ジェンダー理論は、まさしく、そうした自然らしさのかげに隠れた権力関係のメカニズムを明らかにし、外から押し付けられた規範から、すべての人を解放することをめざすものである。
 「すべての人間が、差別されず、平等に、自分らしく生きること」に異議を唱える者はいないだろう。ジェンダー理論はそれを実現することを目指す。その目的を共有できるのであれば、目的を達成するためにはどうすべきかについて、社会のみなが、行政をもふくめて自由に論議し、理解を深めあうべきである。
 それにもかかわらず、東京都は、議論を深めあうどころか、一面的に「ジェンダー・フリー」という「ことば」を諸悪の根源として悪魔化し、ジェンダー・フリー教育への無理解と誤解をもとに、まさに学問としてのジェンダー理論の研究および研究者を弾圧したのである。このことが学問と思想の自由に与える脅威は甚大である。

 以上の理由をもって、われわれは東京都知事、教育庁に抗議し、これを公開する。

     2006年1月23日

呼びかけ人  
若桑みどり(イメージ&ジェンダー研究会・ジェンダー史学会・美術史学会・歴史学研究会)
米田佐代子(総合女性史研究会代表)
井上輝子(和光大学)
細谷実(倫理学会・ジェンダー史学会・関東学院大学)
加藤秀一(明治学院大学)
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by midori-net | 2006-01-23 05:11 | 活動
国分寺市の人権教育事業の講師を都に拒否された事件で、
上野千鶴子さんが公開質問状を提出された記事の続報です。

なお、この件については毎日新聞が記事を書いていて、
わたしも引用してアップしました。

上野千鶴子さんの講演を都が「見解に合わない」と拒否(1/13)

上野千鶴子さんが公開質問状を出しました。(1/14)

以下に、上野さんが東京都および国分寺市に送られ公開質問状
(回答期限は1月末)の本文を紹介します。(転載、引用自由)

公開質問状のあて先は、
東京都知事、東京都教育長、教育委員長、
教育庁生涯学習スポーツ部社会教育課長、および、
国分寺市長、教育長、教育委員長、生涯学習推進課長です。

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公開質問状
                           2006年1月13日
 平成17年度における文部科学省委託事業「人権教育推進のための調査研究事業」について、私を講師とする事業計画案を都教育庁が拒否した件について、国分寺市の「人権に関する講座」準備会のメンバーおよび、2005年11月20日に開催された「人権を考える市民集会」参加者から、経過説明を受けました。
 また2006年1月10日付け毎日新聞夕刊報道「「ジェンダー・フリー」使うかも・・・都「女性学の権威」と拒否」(別送資料1)によって、都の発言内容が一部明らかになりましたので、以下の事実について、説明を求め、抗議します。

(1)今回の国分寺市の委託事業の拒否にあたって、都および市のどの部局がいかなる手続きによって意思決定に至ったか、その責任者は誰であるかを、私にお示しください。
(2)その際、上野が講師として不適切であるとの判断を、いかなる根拠にもとづいて下したかを、示してください。
 
 なお、報告と報道にもとづいて知り得た限りの、都の説明に対する反論を、以下に記しておきます。
 1)今回の講師案は「人権講座」であり、「女性学」講座ではない。講演タイトルにも内容にも「女性学」が含まれないにもかかわらず、「女性学」の専門家であることを根拠に拒否する理由がない。それならば、今後、この種の社会教育事業に、女性学関係者をいっさい起用しないということになる。
 2)女性学研究者のあいだでは、「ジェンダー・フリー」の使用について一致がなく、一般に私を含む研究者は「ジェンダー・フリー」を用いない者が多い。さらに私は、「ジェンダー・フリー」を用語として採用しない立場を、公刊物のなかで明らかにしている。(別送資料2)都の判断は、無知にもとづくものであり、上野の研究内容や女性学の状況について情報収集したとは思えない。
 3)とはいえ、私自身は「ジェンダー・フリー」の用語を採用しないが、他の人が使用することを妨げるものではなく、とりわけ公的機関がこのような用語の統制に介入することには反対である。なお、「ジェンダー・フリー」という用語について申し述べておけば、「ジェンダー・フリー」を「体操の着替えを男女同室で行うなど、行きすぎた男女の同一化につながる」という「誤解」が生じたのは、「誤解」する側に責任があり、「ジェンダー・フリー」の用語そのものにはない。
 4)毎日新聞報道によれば、都の説明は「上野さんは女性学の権威。講演で『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり、都の委託事業に認められない」とある。
 私は女性学の「権威」と呼ばれることは歓迎しないが、女性学の担い手ではある。都の見解では、「女性学研究者」すなわち「ジェンダー・フリー」の使用者、という短絡が成り立ち、これでは1)と同様、都の社会教育事業から私を含めて女性学関係者をいっさい起用しないことになる。
 5)上記、都教育庁生涯学習スポーツ部の説明では、「『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり」と婉曲な表現をしている。
 だが、「可能性」だけで拒否の理由とすれば、根拠もなく憶測にもとづいて行動を判断することになる。そうなれば、「『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性がある」との理由で、女性学研究者はすべて都の社会教育事業から排除される結果となる。
 6)もしそうではなく、他の女性学研究者は講師として適切であり、上野だけが不適切であるという判断を都がしたのであれば、その根拠を示す必要がある。
 7)上野は、他の自治体の教育委員会や人権関係の社会教育事業の講師として招請を受けている。また解散前の東京都女性財団に対しても、社会教育事業の講師として貢献してきた。かつての上野に対する都の評価が変化したのか、あるいは他の自治体とくらべて都に上野を拒否する特別な理由があるのか、根拠を示してもらいたい。
 8)以上の都の女性学に対する判断は、女性学を偏った学問と判定するこれこそ偏向した判断であり、学問として確立された女性学に対する、無知にもとづく根拠のない誹謗である。

 以上の反論をふまえたうえで、上記2点の質問に対する回答を、1月末日までに、文書でお送り下さるよう、要求します。以上、内容証明付きの郵便でお届けします。
 なお、同一の文書は主要メディアおよび女性学関連学会にも同時に送付することをお伝えしておきます。

上野千鶴子
東京大学大学院人文社会系研究科教授

資料1:2006年1月10日付け毎日新聞夕刊報道「ジェンダー・フリー」使うかも・・・都「女性学の権威」と拒否」
資料2:上野インタビュー「ジェンダーフリー・バッシングなんてこわくない!」
『We』2004年11月号(p2-19)
(資料は別送)

cc人権を考える市民の会/毎日新聞社/読売新聞社/朝日新聞社/日経新聞社/サンケイ新聞社/東京新聞社/日本女性学会/日本女性学研究会/ジェンダー学会/ジェンダー史学会/学術会議/内閣府男女共同参画会議/男女共同参画大臣

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この事件を毎日新聞で読んだ時、
わたしは大きないきどおりを感じました。

この事件は、もちろん
女性学やジェンダーの問題としても重大ですが、
東京都の国分寺市に対する介入は
市民自治への挑戦とも言えるでしょう。

また、国分寺市としても、
このような都の圧力に屈することなく、
市民が計画した上野さんの講演を実現させることこそが、
市民参加事業を企画した責任でしょう。

この事業は、国から都が委託を受け、
国分寺市に再委託したものと聞きます。

委託された事業の目的と趣旨を理解して、
委託元の国(文部科学省)に確認し、
国分寺市の講師選定に間違いはないと、
東京都に対抗することはできたはずです。

わたしも抗議等の行動を起こしたいと思います。

あなたもぜひ抗議の声を挙げてください。
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以下は、公開質問状の送付先の連絡先です。
《東京都関連》
東京都公式HP 東京都庁〒163-8001東京都新宿区西新宿2-8-1 
電話03-5321-1111(代表)
「都民の声」koe@metro.tokyo.jp
「都民の声総合窓口」〒163-8001東京都庁「都民の声総合窓口」あて
ファクス 03-5388-1233
東京都教育庁HP東京都教育庁HP


《国分寺市関連》
●国分寺市公式HP
 http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/default.htm
 国分寺市役所
 〒185-8501 東京都国分寺市戸倉1-6-1 電話:042-325-0111(代表)
●市長へのメール
  e-mailアドレス mayor@city.kokubunji.tokyo.jp
●秘書広報課(政策部)
 (主な業務):市長・助役の秘書業務、市表彰に関することや市民の皆さんの要望・
意見などを、市政に反映させていくため、いろいろな広報・広聴活動を実施していま
す。
秘書担当(内線401) 広報担当(内線410) 広聴担当(内線559)
e-mail: hisyokouhou@city.kokubunji.tokyo.jp
●国分寺市・各組織の一覧
  http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/ka/main.htm

(国分寺市教育委員会)
●庶務課(教育部)
(主な業務):教育委員会の庶務・経理・施設に関することを行う。
庶務係(内線450) 施設係(内線455)
e-mail: syomu@city.kokubunji.tokyo.jp
●生涯学習推進課(教育部)
(主な業務):社会教育の振興に関する事業を行います。
生涯学習推進担当(内線463)
e-mail: syougaigakusyu@city.kokubunji.tokyo.jp
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by midori-net | 2006-01-16 07:47 | 活動
昨日の記事の続報です。

東京都教育庁が上野千鶴子さんの講演を拒否したため、
国分寺市の人権学習講座が中止された問題で、
上野さんが東京都に公開質問状を出されました。


初発記事を書かれた毎日の五味さんが
追い記事を配信されたものです。

9時前のNHKニュースでも、
この問題が取り上げられたそうです。
友人が見てたんですが、東京ローカルで、
岐阜では見れんかった(残念!)

問題をうやむやにせずに、
当事者として、
迅速に対応される上野さんはさすが!

やっぱ、
「売られたケンカはかわなくっちゃね!」


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ジェンダー・フリー:上野さんが都に質問状 講座中止で

 「ジェンダー・フリーに対する見解が合わない」と、東京都教育庁が上野千鶴子・東大大学院教授(社会学)の講師依頼を拒否したため、国分寺市の人権学習講座が中止された問題で、上野教授は13日、石原慎太郎都知事や都、同市教委に対し、講座中止の理由を問う公開質問状を出した。
 質問状では、同庁が「『ジェンダー・フリー』に触れないとする都の見解と合わない」などと委託を拒否したことに対し「女性学に対する偏向した判断」と批判。上野教授を講師として不適切とした根拠などの説明を求めている。【五味香織】
(毎日新聞 2006年1月13日 22時48分)
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委託事業とはいえ、もともとは文部科学省の
「人権教育推進のための調査研究事業」。

国分寺市の事業の講師選定に介入し、
廃止に追い込んだ東京都の責任は重大です。
東京都は、行政として、なぜこのような判断をしたのか、
きちんと応答責任と説明責任を果たすべきです。
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by midori-net | 2006-01-14 07:44 | 活動
夕方から雨が音をたてて降りだした。
明日は、京都にいるひとに誘われて、
「精華大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」を聴きにいこうと、
たのしみにしているというのに・・・・。

ところで、
1月10日の毎日新聞夕刊の社会面に、
「上野千鶴子さんの講演を東京都が拒否した」
という記事が載っていた。
全国版の社会面トップニュースだ。

毎日新聞はすべて署名記事なので、
だれが書いたかがすぐわかる。
この記事を書かれた五味香織さんは、
岐阜支局が初任地のすぐれた記者で
市民運動や裁判でとてもお世話になった。

名古屋本社社会部に転勤された後も、
ミニコミを送ったり、親しくしていた。
去年、東京本社社会部に転勤されたと聞き、
署名記事をなつかしく読んだ。

わたしが経験しただけでも、行政がし意的に、
講師選定や意に添わぬひとを排除するということは、
地方や水面下ではたくさんあると思う。

とはいえ、なかなか表面化しにくく、
事実関係がつかみにくい問題を
地道な取材で、多くのひとに見える問題として
記事にされた五味さんと、
泣き寝入りしなかった、であろう
国分寺市のみなさんに拍手を送りたい。

つれあいの父の葬儀やなんやかやで
バタバタしてて、遅れてしまったけれど、
以下に10日の記事を紹介します。

(2006年1月10日毎日新聞夕刊より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上野千鶴子さんの講演
都「女性学の権威」と拒否 見解合わないを理由に

 東京都国分寺市が、都の委託で計画していた人権学習の講座で、上野千鶴子・東大大学院教授(社会学)を講師に招こうとしたところ、都教育庁が「ジェンダー・フリーに対する都の見解に合わない」と委託を拒否していたことが分かった。都は一昨年8月、「ジェンダー・フリー」の用語や概念を使わない方針を打ち出したが、上野教授は「私はむしろジェンダー・フリーの用語を使うことは避けている。都の委託拒否は見識不足だ」と批判している。
 講座は文部科学省が昨年度から始めた「人権教育推進のための調査研究事業」の一環。同省の委託を受けた都道府県教委が、区市町村教委に再委託している。
 国分寺市は昨年3月、都に概要の内諾を得たうえで、市民を交えた準備会をつくり、高齢者福祉や子育てなどを題材に計12回の連続講座を企画した。上野教授には、人権意識をテーマに初回の基調講演を依頼しようと同7月、市が都に講師料の相談をした。しかし都が難色を示し、事実上、講師の変更を迫られたという。
 このため同市は同8月、委託の申請を取り下げ、講座そのものも中止となった。
 都教育庁生涯学習スポーツ部は「上野さんは女性学の権威。講演で『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり、都の委託事業に認められない」と説明する。また、一昨年8月、都教委は「(ジェンダー・フリーは)男らしさや女らしさをすべて否定する意味で用いられていることがある」として、「男女平等教育を推進する上で使用しないこと」との見解をまとめていた。
 一方、女性学とは社会や学問のあり方を女性の視点でとらえ直す研究分野だ。上野教授は「学問的な見地から、私は『ジェンダー・フリー』という言葉の使用は避けている。また『女性学の権威だから』という理由だとすれば、女性学を『偏った学問』と判定したことになり許せない」と憤る。
 同市や開催準備に加わってきた市民らは「講演のテーマはジェンダー・フリーではなく、人権問題だった。人権を学ぶ機会なのに都の意に沿う内容しか認められないのはおかしい」と反発している。   【五味香織】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(なお、記事中の「ジェンダーフリー」の用語解説は、
一部誤解をまねく表現があったので、省略しました。)

「ジェンダーフリー」については、
以下の「ジェンダーとメディア・ブログ」が詳しいので、
ぜひお読みになってください。

ジェンダーとメディア・ブログ10.11付け記事
上野千鶴子氏「ジェンダーフリー」発言記録


「わたしはむしろジェンダーフリーという用語を使うのは
避けている。都の委託拒否は見識不足」、
「『女性学の権威だから』という理由だとすれば、
女性学を『偏った学問』と判定したことになり許せない」
と憤る上野さんに、「ケンカを売った」のは、
ほかならぬ東京都だ。

この問題が、石原都知事の足元で、
今後どんな展開を見せるか目がはなせない。
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by midori-net | 2006-01-13 07:42 | 活動

『声をなくして』(永沢光雄著/晶文社/2005)を読んだ。
ガンで声帯をなくして、声を失った永沢光雄さんの「日記」。

帯にこんなことばがある。

『AV女優』などの話題作でインタビューの名手として知られる永沢光雄が、43歳の或る日、下喉頭がんの手術で声を失ってしまった。その闘病生活を1年にわたり赤裸々に日記に綴った。
 朝起きる。ひどい首の痛み。そして、呼吸困難。鼻につながる気管も切除され、呼吸は左右の鎖骨の間に空いた穴から行う。全身のどんよりとした疲れ。まず最初の日課は焼酎の水割りで大量の薬をのどに流し込むことだ。
 そんな日々でありながら、筆者の筆致はユーモアに満ち、声を失った自分を時にはおかしく、時には哀しく描いている。だから、みんなも、毎日がつらくても生きて欲しい。他者への暖かいメッセージが行間にあふれている。

泣き笑いをしながら、半日で読んだ。
約30ページの「少し長いあとがき」が秀逸だ。

「雫である。
人の、一人の人間の一生なんて、雫である。
心からそう思う。・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(中略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、言う。ちゃんと、言う!
みんな、死ぬな!」。


岐阜県の東端のまち、中津川市議会に、
同じようにガンで声を失った小池さんという議員がいらっしゃる。
「議会で発言の権利を奪われている」という報道を知ってから、
面識はないけれど、ずっと気にかかっていた。
小池さんは、本で知った闘病生活を経験しただけでなく、
議会という場においても、議員としての声をなくしている。
声を奪っている原因は、小池さんでもガンでもなく「議会」にある。

議会は“言論の府”といわれるように、議員活動の基本は言論であって、
問題は、すべて言論によって決定されるのが建前である。
このため、議会においては、特に言論を尊重し、その自由を保障している。
会議原則の第一に「発言自由の原則」が挙げられるのもそのためである。
(『議員必携』より)


言論をうばれてしまっては、議員の公務はできない。
「代読させない」ということは、この「発言自由の原則」
を議会みずからが踏みにじるということだ。

さいしょに、議員たちが「代読させないと決めた」と聞いた時、
なんてイジワルな議員ばかりなんだろう、と思った。
同時に、わたしの議員経験に照らして、さもアリなんとも。
議会は、外の世界なら常識である他者に対するやさしさや、
弱者に対する配慮は無縁の「弱肉強食」の世界。
弁護士会の人権擁護委員会の勧告まで無視して、
「治外法権」とでも思っているのだろう。
こういうことが起きると議会の倒錯ぶりが露呈される。

こんな傲慢な議員たちが、市民のすべての生活にかかわる
政策やサービスを日々、意思決定しているなんて、
不幸なのは、中津川市民も、だろう。

今朝の中日新聞に、以下の囲み記事が載ったので、
転載して、紹介したい。


中日新聞2005.12.19付「物見櫓(ものみやぐら)」より
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「問われる議会の見識」
大阪夕陽丘学園短大教授・川崎和代


 岐阜県の中津川市議会で、ガンで声帯を失った議員が議会事務局職員の代読による発言を認めるよう求め続けている。ささやかな、しかし切実な要求だ。
 本年5月大阪に住む私に、市議夫人から突然電話があった。人づてに私が障害者の参政権保障について研究していることを聞いたという。話によれば、議会は、代読はダメだが、音声変換機能付きパソコンを使った発言なら認めるという案を示したそうである。パソコンの音声変換は代読に勝るほどのレベルにはないし、何より議員が求めているのは代読による発言で、それがダメだという合理的な理由が明らかではない。
 この11月16日には、岐阜県弁護士会の人権擁護委員会が議会事務局職員の代読による発言を認めるように勧告した。この勧告後に、議会は、事前準備不可能な本会議での再質問と委員会での質問には代読を認めるという対応を示した。それなら、なおさら一般質問で代読を認めない理由がわからない。
 12月15日の委員会では初めて副委員長が代読する形で発言が認めるられ、不都合なく議事はスムーズに進行したという。パソコンの利用に固執する理由がないことは、これであきらかとなった。議会に求められるのは、委員会だけでなく本会議でも、すべて代読を認めることであり、副委員長による代読が、議員の発言内容をチェックすることにならないように求めておきたい。問題は解決したわけではなく、今後の対応の中で議会の見識が問われるのである。
 いうまでもなく、議会での議員の発言は議会活動の中核部分である。その保障は憲法21条が定める政治活動の自由に属する。発声障害のある議員にその完全な職務遂行の便宜を提供しないのは、発声できる議員にだけ議会活動を保障するというのと同じで、政治的関係における差別にあたり憲法14条に違反する。
 障害者基本法に基づき平成14年12月に閣議決定された障害者基本計画も、障害者が「自己選択と自己決定の下に社会のあらゆる活動に参加、参画」できるよう、支援することを求めている。中津川市議会には、全住民の代表機関として、この憲法と障害者基本法の前で、堂々と胸を張ることができるような対応をとってほしいと思う。
 12月4日東京で開催された「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会」全国集会で市議の代読発言を認めるよう求めていくことが提起された。いま、政治への障害者の完全参加を求める人々の厳しい目が中津川市議会に注がれている。(憲法学専攻)
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「声をなくす」ということが、どんなに辛いことなのか、
わたしには、想像することしかできない。
もしわたしが、二重にことばを奪われたなら、
「議員の発言の権利の保全」を求めて、
裁判所に権利保全の仮処分を提起するだろう。

小池さんが、何年も議会での発言の権利を求めて
たたかってきたことを、最近までわたしは知らなかった。

表現の自由を尊重し、言論でたたかうマスコミこそ、
もっともっと、大きな声で、
この問題を、ひろく社会に知らせてほしい。

そしてなにより、中津川市議会は、すべての議員に対して、
ただちに「発言の自由を保障する」べきだと思う。

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by midori-net | 2005-12-19 18:31 | 活動
金曜日に、最高裁で公開が確定した
公文書が一部公開されました。
請求した6団体のうち、2団体分は、
「廃棄・紛失した」とのことで、合計2660枚。
しめて2万6660円分をコピー代として払いました。

今年の冬は、ストーブの前で、この公文書を元に、
実行委員会の公金の不正がなかったか、
精査・分析をすることになりそうです。
公文書を解析するのは、複雑なパズルを解くようで、
けっこう面白くて嫌いじゃないんですが、
時間も経ってるし、量も多くて大変そう・・・・・・。

「廃棄・紛失」したという2団体は、
「文化庁芸術祭岐阜実行委員会」と
「岐阜県民文化祭実行委員会」。
6団体の中では、事業規模も金額も大きくて、
わたしたちが疑惑を持っていた団体です。
全部だったら、この倍くらいだったかもしれません。
係争中のそんな大量の文書が消えるなんて、
だれかが故意に捨てたとしか思えません。

あちこちからかき集めて公開された100枚ほどの文書。
これでは肝心のウラ金づくりがわかりませんね。

このあと、
古田岐阜県知事にお会いして、ちょくせつ質問書を渡しました。

「実行委員会の公文書の破棄・紛失」に対して、
質問書を知事室(秘書課)に持って行きました。
アポなしで行ったのですが、知事が会うとのこと。
応接室で10分ほど待って、知事公室へ。
部屋には古田知事と原副知事がいて私たちは4人。
まず当事者が今回の事件についての趣旨と経過を話し、
知事は質問書を読みながら聞いていました。
その後、率直に意見交換して私たちの思いをお伝えし、
文書で回答をすることを自ら約束されました。
「アポを取ってもらえばいつでも会います。
ここに書いてないことでも何かあったら
いつでも私か副知事に直接電話をかけてください」とも。

古田知事は、公文書を紛失したことを、
とても重大事と受け止めているとのことで、
誠実な人柄に好感が持てました。

以下は質問書の全文です。

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     公文書破棄・紛失に関する質問書
2005年12月2日
岐阜県知事 古田肇様
                     情報公開請求代表者 寺町知正

 1997年3月、各種イベントなどを行う「実行委員会」において県の裏金づくりが発覚しました。私たちが詳細を調べようと情報公開請求したところ、岐阜県は、購入や飲食などの「請求書」「領収書」「明細書」などをすべて非公開としました。私たちはこの処分に対し、情報非公開取消訴訟を提訴しました。
 私たちの提訴に対して、今年9月13日、最高裁で関係文書の公開が命令されました。ところが、訴訟対象とした6つの実行委員会のうち2つについて、文書がないことが11月28日夕方、県担当部局から電話で伝えられ、文書の公開日が本日午後2時と決まりました。

 私たちは、6つの実行委員会のすべてについて当該文書を、97年の情報公開請求以来、一度も見たことがありません。つまり、当該文書の法的手続きは、請求当時のまま止まっているということです。
 私たちが公開請求をし、訴訟の結果として公開が命じられた文書であるのに、当事者に公開していない段階での、県の一方的な発表は、情報公開の法的手続きをみずから踏みにじり、反故にするものです。
 県が一方的に公表することを知り、当日11月29日に抗議の意を声明しました。私たちは職員の処分を新聞報道で知りました。 さらに私たちの抗議にもかかわらず、知事は12月1日の県議会において、公文書の紛失を説明し、謝罪したと報道されています。
 これらの事前公表および県議会への謝罪、職員処分は、一見いさぎよさそうでいて、少しでも体裁をとり繕おうとして、社会的批判をかわそうとする意図であることは明白です。
 司法で公開が確定した公文書を紛失したこと、および公文書の事前公表は、行政の法治主義の原則を著しく逸脱する行為で、けっして許されることではありません。
 わたしたちは、一連の県の対応に当事者として強く憤りを感じています。
 
 つきましては、岐阜県関連の実行委員会に関する文書の廃棄、紛失事件について、誠実な対応を求めるために、以下につき、明確な回答を求めます。

1. 謝罪のしかた、あり方について
 「岐阜県」が私たちに謝罪した旨が報道されています。県が29日の会見で「謝罪した」と説明したからに違いありません。私に、副知事や局長から電話があったのは事実ですが、事実経過の説明はありませんでした。
 そもそも謝罪とは、「どうしてこのようなことが起こったかということを、そのことを行った当人らが当事者に直ちに説明し、当事者の質問にも充分に答え、当事者が本当の事実経過を説明していると納得できるものであること」、そのうえでの「謝意の表明」、このことを満たさなければ完結しません。
 例えば、全国で重大な問題となっている建物の構造審査における日本最大手の確認検査機関「日本ERI」の社長らが最近の記者会見で、「1年半前に他の会社から社員が指摘を受けた、しかし上司に伝えられなかった」旨を述べて弁解している様子が報道されています。分かりやすくいえば、今回の岐阜県の上層部の対応、現時点までの対応はこの例と同じというしかありません。
 そもそも、今回のような事件は、あってはならないこと、あり得ないことで、謝罪して済ませる問題ではありません。
 かりに謝罪するにしても、不祥事の絶えない行政、岐阜県もそのレベルである以上、今後のためにも、謝罪のしかた、あり方を反省すべきです。

①謝罪とは一方的に謝意を表せばよいと考えているのか否か。
②知事は今回の件で、当事者に謝罪したと考えているのか否か。
③一方的に電話をして「謝罪した」とすることとした経緯と理由はどのようか。
④現在において、先の11月28日・29日の私たちへの対応をどのように評価しているのか

2.公文書の公開より先に公表したことについて
⑤どのような判断で事前公表したのか。
⑥請求者に公開する前に、いち早くマスコミに発表したのはなぜか。
⑦請求者に公開する前に、県議会で説明し謝罪したのはなぜか。
⑧請求者に公開する前に、他に漏らすことは、情報公開制度の法的手続きに違反しているのではないか。

3. 事実経過の説明について
 今回の問題に関して、当事者である私たちは、県から具体的な事実経過の説明を受けていません。
 加えて、副知事らがどこまで担当職員から直接詳しく聞いているのかもわからない状況では、当事者は、謝罪の前提を満たされていないのですから、副知事や局長からの謝罪と受け取ることは到底不可能です。
 さらに、本日報道では、知事が議会で謝罪したとされています。
 当事者は一体だれなのか?
 とはいえ、こちらは、関係職員らに面会してどうこうしたいと望むものでもありません。
 
⑨今回の「廃棄」「紛失」・・この事態をどう表現するにしろ、関係職員名・職責を明らかにしたうえで、そのものらが今日(こんにち)までの事実経過を時系列および各責任類型の一目瞭然とした書面にして、私たち当事者宛に交付すること。
⑩岐阜県は、今後の同種の事態の再発防止に関して、その決意と対策を当事者に文書で示すこと(なお、これは情報公開条例や個人情報保護の規定の問題ではなく、県の公務における公務としての対応である)。
 

4.職員の処分について
⑪知事は本件の事実経過をすべて知ったうえで、職員を処分したのか否か。
⑫今回の処分は、「トカゲの尻尾きり」ではないのか。
⑬当時疑惑をもたれた裏金づくりなどの文書が公表され、詳細な内容が明らかとなることを恐れ、だれかが故意に廃棄したとは考えなかったのか。
⑭ その可能性について調べたのか。

5.行政訴訟における県の虚偽主張という行為について
 本件文書の実在に関して先般11月30日の新聞報道では、2001年1月には最終確認され、紛失に気づいたのは2003年4月だとされています。
 本件文書公開処分取消の行政訴訟は、2002年2月より名古屋高裁で控訴審の審理が行われ、9回目の2003年10月21日に結審しました。この間、2003年冬ころの審理において、高等裁判所から県に対して、「現在、当該対象文書がどのように扱われているかを主張するように」と要求がありました。
 岐阜県は、同年5月2日付け準備書面(5)において、同年5月1日撮影などとした同日提出の乙17号証および乙18号証を示して実際の保管状況を文書及び写真で説明しています。しかし、この書面において、「一部文書がみつからないこと」は主張されていません。
 即ち、裁判所も原審原告も、実在していることは当然かつ共通の認識として判決にいたっています。最高裁もしかりです。
 この、行政訴訟における行政機関の虚偽主張という行為は誰もが想定し得ないことです。三権分立の構造における司法審査の厳粛さそのものを行政機関が否定することです。
 しかも当該訴訟が「文書が存在するときのその管理権限の所在を争う訴訟」であるのに、文書保管者の県の虚偽主張という行為は信じられず、かつ許されないことです。

⑮訴訟における虚偽の主張をすることをどう考えるのか。
⑯知事、副知事、局長、部長のそれぞれは、本件訴訟における上記虚偽主張があったことを把握して、今回の「廃棄」「紛失」事態を認識して対処したのか否か。
⑰今後、訴訟等に臨むに当たって、どのようにしていくのか。
 
6. 最後に
 私たちは、県の違法な条例解釈により県民としての情報公開請求権を著しく侵害され、かつ、不要な時間と労力や経費を費やしました。
 さらに、本件訴訟を虚偽主張によりいたずらに引き延ばされ、あげく、当該公文書の紛失により、県の公務の適正を確保するために、地方自治法で住民に保障されている住民監査請求の権利すら奪われた可能性が高いと考えます。
⑱これらのことについて、知事はどのように考えますか。

 以上につき、来る1月10日までに文書での回答を求めます。
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ウラ金づくり疑惑も、たくさんの行政訴訟も、
梶原前知事の時代に起きたこととはいえ、
知事の権限や行政の事務は継続しています。

今回、起きた公文書破棄の問題をどのように解決するのか、
古田知事の手腕が問われます。
岐阜県と対峙しつづけてきた当事者として、
一県民として、知事は誠意を持って対応してほしい、
できることなら、みずから前政権時代のウミを
出し尽くしてほしい、と心から願っています。

追伸:疑惑のウラ金づくり及び公文書廃棄について、
情報をおもちの方は、ぜひご連絡ください。
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by midori-net | 2005-12-05 11:34 | 活動
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