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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
3-2 従来型選挙とどう違うか?

 選挙の常識とルールをくつがえし、これまでの選挙の地図をぬりかえているのが市民型選挙です。
 従来型選挙は、「ジバン・カンバン・カバン」を必要条件とする組織選挙です。その3要素が、大きくて強固なほど当選の可能性が高いというのが、これまでの「選挙の常識」でした。
 なにも持たない市民が、おなじ武器でたたかったら勝つ見こみはないでしょう。それに選挙は、他の候補者とたたかうものではなく、候補者の「わたし」の政策を、有権者の「あなた」に信任し、投票してもらうものです。だから、他の候補者のやりかたを気にすることはありません。
 市民型選挙では、市民と平場(タテ型ではなくヨコにつながる)の関係であることを大切にします。候補者も有権者もおなじ目線の高さにいる、ということです。他の候補者は、政党や組織のなかにいたり、地域のボスだったり。市民とちがう高いところにいる人が、おカネや組織を使って「一票ください」と言ってきます。
 市民型選挙は、おなじ場にいない人たちにはなかなか見えません。肩書がない候補者なんかと言われます。「肩書がない」ということは、いままでの選挙ではいちばん不利な条件のはずでした。でも肩書がないことに市民は共感します。「組織がなかったら当選しない」というのは、選挙の重要な常識のひとつでした。でも「トップダウンではないネットワーク型」なら、組織がなくても当選できます。
 従来の候補者は、だれかからの指示や日当がないと市民は動かないと思っているようです。選挙で名前を大声で叫べば有権者は投票すると思っています。ほんとうにヒトをバカにした発想です。人間関係のしがらみを使って動員をかけ、政策をあきらかにせず、演説もしないで「票を取る」という発想。こんな貧困な発想や従来型の選挙に、市民はあきあきしています。
 もうオヤジ議員にはまかせておけない! 感性の鈍いオヤジ候補は、議会でイネムリするよりも、縁側でイネムリしててほしいものです。
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『市民派議員になるための本』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
第2部 勝てる選挙
第3章 市民型選挙とは・・・

3-1 市民型選挙とはなにか?

 「組織もない女性が、どうしてこんなにたくさんの票をとって当選できるんですか?」-市民派候補が大挙して当選した‘99統一自治体選挙の直後、「女性を議会に!」の運動をになっていたわたしのところに、マスコミから殺到した質問です。この問いに、わたしなりにこたえてみましょう。

 「市民型選挙」は、ネットワーク型選挙ともいい、組織ではなく、個人から個人に、候補者のメッセージを届ける選挙、「ジバン・カンバン・カバンを持たないタダの市民が」「仲間で政策をつくり、おカネをかけないでやる」選挙です。
 組織にいる男たちや政党の人、地域選出の候補者など、いままで選挙を一回でもやったことがある人たちからは、「組織もない個人が、女ばかりあつまって、あんなやりかたで当選するハズがない」と言われます。
 ところがイザ開票すると、現実に無党派・市民派候補者は当選していきますし、なかにはトップ当選の人もあります。
 選挙は、基本的に「候補者の考えを有権者に伝える」ものです。有権者は、たくさんの候補者のなかから、意中の人の名前を投票用紙に書きます。
 従来の候補者は「入れてくれたら見返りをあげましょう」と利益誘導し、有権者も、「票はカネだ」と思っている人はカネで、義理が大事と思っている人は義理で投票します。政党や自治会など組織のウエからの指示で投票する人もいます。
 でも、市民型選挙をするわたしたちにとっては、有権者は“数”としての票ではなく、ひとりひとりが意思を持つ“人間”です。
 「議員になってなにがしたいか」「議会でどのようにはたらきたいか」を、ばくぜんとした有権者一般にではなく、ヒトからヒトへの個別の関係のなかで確実に届け、伝えていくのが、市民型選挙なのです。

《法条文》
・憲法第15条①②③④(→2-2参照)
・憲法93条②(→1-3参照)
・〔この法律の目的〕 公職選挙法第1条
・〔議員及び長の選挙〕 地方自治法第17条
・〔選挙権〕 地方自治法第18条
・〔議員及び長の被選挙権〕 地方自治法第19条
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_本のあとがき_______________________________________________
-「産婆」役の立場から-
     
 昨年11月に本の企画を立ててからおよそ1年。十月十日月満ちておぎゃあと本が生まれた。書いたのは寺町みどりさん。この人は書ける、書くべきメッセージを持っている、とわたしは確信し、「産婆」役を買って出た。 孕んで産んだのはみどりさん。わたしはそれを手助けしただけ。
 「無党派の風」なんて言うが、どちらを向いて吹いているのか、皆目わからない。長野県の田中康夫と東京都の石原慎太郎がいっしょに扱われるのも、なんだかおかしい。千葉県の堂本暁子に吹いた風と、大阪府の太田房江を押し出した風が同じとも思えない。「無党派って、なあに? わたしにわかるように説明してください」から、本の企画は始まった。
 無党派・市民派はどの議会でも少数派で孤立している。議会のなかには味方がいないが、議会のそとには仲間がいる。政党は新人議員でも守ってくれるが、無党派には市民以外に、だれもうしろだてがいない。そろそろ無党派・市民派の議員たちの経験とノウハウが蓄積され、伝達されていい頃だ。そう思ったら、「む・しネット」のなかには、おどろくべきノウハウが宝の山となって蓄積されていた。
 議員体験記なら他にもあるが、ここまで周到に目配りよく、議員になるまでと議員になってから遭遇するさまざまな課題に、こんせつていねいに応えている本はあるだろうか? 既成政党の議員さんたちが読んでも役に立ちそうなのが、こわいくらいだ。出たいひとにも、出したいひとにも、続けたいひとにも、選びたいひとにも、それぞれに役にたつ、かつてない本だと思う。
 この本をゲラの段階で読んだ市民派議員のひとり、ごとう尚子さんが「本
が売れた数だけ、議会が変わると思います」と感想をくれた。そのフレーズをいただいて、こんなキャッチコピーをつくりたい。
 「この本が売れた数だけ、日本の政治は変わるでしょう。」
                     上野 千鶴子
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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)2-4 無党派・市民派議員になにができるか?
       
 無党派・市民派議員になにができるか、カンタンに整理してみましょう。
 まず議会で、①一般質問をする、②条例案の審議をする、③予算案の審議をする、④決算認定の審査をする、⑤議案について討論し、賛否の意見を表明する、⑥表決により議案に対する賛否の意志を示す、⑦慣例や前例を変え、議会改革をする、⑧政策を提案し、実現する、⑨政策を評価する、⑩請願の紹介議員になる、ことができます。
 自治体(まち)では、①まちに出て市民の声を聞く(情報収集)、②市民に情報(ニュース)を発信する、③市民といっしょに政策を研究する、④情報公開請求する、⑤住民監査請求する、⑥市民運動に参加する、ことができます。
 まちの外では、①情報を収集する、②先進地に学ぶ、③ネットワークをつくり他のまちの議員と交流する、④議員の勉強会に参加する、などがあります。
 無党派・市民派議員は、4年間の議員の任期のうちに、議会や政治の現場で、地域社会で、まちの外で、たくさんのことができます。そのためには、まず選挙で当選しなければなりません。
 第2部からは、「選挙」「議会」「政策」「市民」と、市民型選挙、行政や議会とのかかわり、仲間や市民との関係などについて、ひとつひとつ具体的に、経験とノウハウをお伝えしましょう。
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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)2-3  女ならだれでもよいのか?

 では、女ならだれでもよいのでしょうか?
 この問いに対するわたしの答えは「女ならだれでもよいわけではない」です。なぜなら「女である」というだけで、手を組む理由がなにも見つからないからです。
 女ならだれでも、「権力指向ではない」のでしょうか。女ならだれでも「権威主義ではない」のでしょうか。女ならだれでも「弱い立場の人を大切にする」のでしょうか。女ならだれでも「ジェンダーの視点がある」のでしょうか。女ならだれでも「ひとを差別しない」のでしょうか。女ならだれでも「環境を大切にする」のでしょうか。女ならだれでも「利益誘導しない」のでしょうか。女ならだれでも「市民自治をめざす」のでしょうか。女ならだれでも「体制を変えたい」のでしょうか。
 わたしの答えはすべて「NO」です。では、男はすべてダメなのでしょうか。前項のすべての答えは、やはり「NO」です。
 女性議員をふやす運動にかかわると、「まず女性がひろく手をつなぎ、女性議員の数をふやそう」そして「女性議員がふえてから質を考えよう」という議論がかならず出てきます。この議論に反対すると、「ココロがせまい」「女の足をひっぱる女のテキ」と言われます。わたしは6年間、女がつながる可能性を運動の現場で模索してきましたが、いまはそこからはなれ「無党派・市民派」でつながる道を選びました。
 ただ女性議員の数だけがふえても、「女性差別を受けいれ容認し、強いものが弱いものを支配する現在の体制に賛成する」「政党に所属し、組織の論理を優先する」女性議員であれば、なにも現状はかわりません。むしろ現体制を補完し、既存の権力構造にはいり、男性議員といっしょに無党派・市民派議員を抑圧する側にまわるだけでしょう。
 政党という制度のなかで政党を変えようとガンバッテいる少数派の女性議員を否定するつもりはありません。また、党派を問わず、ひろく女性議員をふやす運動を否定するものではありませんが、そういう人たちには、まず自分の所属する政党や組織の改革をやっていただきたいものです。
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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
2-2 無党派・市民派議員とはなにか?

 自治体の議員は、選挙でえらばれた「特別職の公務員」です。
 憲法第15条には、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と定められています。このことは、議員が公平公正にその権限を行使し、利害のあい反する問題や、意見の対立する問題について、一部の人の利害ではなく、市民全体の利益とはなにかという判断をするということです。
 公平公正とはどういう意味でしょう? 市民全体の利益とはなんのことでしょう?
 議員は持っている大きな権力と権限を、どこに行使するのでしょうか?
 「政策」は、市民のすべてにまんべんなく効果をおよぼすわけではなく、特定のだれかに利益をもたらします。いままではそれが既得権を持っている人たちでした。では無党派・市民派議員はどこに立ったらよいのでしょうか?
 強い人と弱い人の利害が対立したとき、強者と弱者が争ったとき、だれから見てもその力の差はあきらかです。大きな力を持つ議員がまんなかに立てば、かならず強者を利することになるでしょう。議員の権限や権力が大きければ大きいほど、絶対的に弱者の立場に立ち、弱者の視点で判断するということが公平公正ということではないでしょうか。
 たいせつなのは、政党や組織に所属せず、数や権力や暴力などを行使する強者の論理を否定し、「わたし」の視点と弱者の論理で政治をすることではないでしょうか。
 わたしが考える無党派・市民派議員とは、強いものが弱いものを統治し抑圧するいまの社会の価値観を否定し、だれもが人間として大切にされ、よりよくくらせる地域社会をつくるためにはたらく「市民の政治家」のことです。
 「ジェンダーの視点を持ち、権力・権威を否定し、現行のシステムや制度を変えたい」と思っている人なら、男女を問わず手を組み、制度を変え、市民自治を実現できるでしょう。でも経験的には、そういう人に女性が多いのも事実です。

《法条文》
・憲法第15条「公務員を選定し及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
②すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
③公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
④すべて選挙における投票の秘密は、これを冒してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない。
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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
第2章 無党派・市民派とは・・・        
2-1 無党派・市民派議員とはだれか?

 無党派・市民派議員とは、だれでしょう?
第1に、「市民の政治」を実践し、市民自治をすすめる市民自身です。
第2に、市民と平場でつながり、市民型選挙をする人です。
第3に、政党や組織に所属しない人です。
第4に、市民の視点で議会に立ち、「わたし」の考えで発言し決断する人です。
第5に、だれの代理代弁もせず、直接民主主義を実践する人です。
第6に、弱い立場の市民のためにはたらく人です。
第7に、利益誘導をしないで、公平公正にはたらく人です。
第8に、市民のための政策を提案し、実現する人です。
第9に、現行のシステムや制度をかえる人です。
第10に、差別や暴力のない社会の実現をめざす人です。

最後に、無党派・市民派議員とは、これらを自治体現場で実践するあなたのことです。
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『市民派議員になるための本』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
1‐5 「市民参加」とはいうけれど

 「地方自治の実践は、民主主義の学校であり、民主主義を成功させる最良の保証である」(ジェームズ・ブライス)
 21世紀のいま「行政と市民のパートナーシップを実現しよう」「市民参加をすすめましょう」というかけ声が聞こえてきます。だれが、どこに参加するの? なにかおかしいと、ここまで読んだあなたなら気づくことでしょう。地方自治の本旨から見れば、行政への「市民参加」ではなく、市民の政治に対する「行政参加」というべきでしょう。
 政策を執行している行政は、ほんとうは市民の代行者にすぎないのに、市民に対し権力を行使しています。行政と市民のパートナーシップという口あたりのよい標語のカゲで、行政「権力」とチカラのない「市民」が対等に手をつなげるなどという発想に酔いしれているうちに、市民のエネルギーはガスぬきされ、市民の自治意識はホネぬきにされていくのではないか、とわたしは心配しています。
 それならと、みずからの手で自治をつくりだそうとしているのが、無党派市民派議員です。以下の章では、無党派・市民派議員について、説明しましょう。

《参考》
・James Bryce(1838~1922)法学者・政治家

(コラム)

 市民参加
 「市民参加」とは、市民(住民)が、市民に深い関係のある自治体の政策の立案、審議、意思形成に自発的にかかわることです。じっさいには、行政主導による割り当てや動員など、市民の自発性や自主性によるものでなく、審議会で意見をのべるだけの、意思決定に影響を与えることのないのかかわりが「市民参加」と呼ばれていることが多いようです。 政策形成の過程で、行政職員や専門家だけでなく、ひろく市民の意見や意思を反映させる市民参加型の手法をとっている自治体もあります。
 市町村のような基礎自治体こそ、市民の直接参加を基本とする「直接民主主義型の市民参加」が実現できるのではないでしょうか。
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『市民派議員になるための本』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
1‐4 「市民の政治」とはなにか?

 自治体政治の現場では、利益誘導型の利権政治が横行しています。行政が、住民の福祉や安全や健康を上から与える行政主導の発想で動き、市民を統治し抑圧しています。 
  「市民の政治」とは、代議制の議会の限界を越える、直接民主主義をみずから実践する「市民による自治」にほかなりません。法律は意思決定においても「議会を置かず有権者による町村総会を設けること」を認めています。
 「市民の政治」の実現は、遠くにある目標ではありません。日々の「市民=わたしたち」のくらしの場で実践されるものです。
 憲法と地方自治法がつくられて55年。いくら待っても実現されない「画に描いたモチ」を、もうわたしは待ってはいられません。「市民の自治」は、市民自身が、あなたが、わたしが、いま・ここで、つくっていくしかありません。

《法条文》
・〔議会の設置〕 地方自治法第89条
・〔町村総会〕 地方自治法第94条
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『市民派議員になるための本・・・・立候補から再選まで』(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
1-3 住民自治とはなにか?

 おさないころに別れた友と再会したときから、わたしのなかに大きな問いが生まれました。
 住民とはなにか?
 彼女はわたしと同じまちで生まれ、共に笑い、共に泣き、共に遊んだ友でした。30年後、彼女は「わたし指紋押捺を拒否する決心をしたの。みいちゃん、わたしといっしょにきてほしい」と在日コリアンとして本名をなのり、わたしの目の前に立っていました。
 住民とは、「自由な意志を持ち、地域社会でくらすすべてのひとびと」です。外国人も、おとしよりも、子どもも、障がい者も、「住民はひとしく行政サービスを受け、その負担を分担する」と法律に定められています。でも外国人には住民自治の基本の権利である「参政権」はありません。その他の義務はひとしく住民として負っているのに、です。
 参政権とは、諸権利のなかの権利、自分の運命を自分で決める権利のことです。その地域社会に日々くらしている、すべてのひとびとが、自分の運命を自分の意思で決めることができる-それが住民自治ではないでしょうか。

《法条文》
・憲法93条② 「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏
員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」
・〔住民の意義及び権利義務〕 地方自治法第10条
・〔住民の選挙権〕 地方自治法第11条

・《外国人の地方選挙権》 「最高裁(最判平7,2,28)は、憲法93条2項の住民は日本国民をいうと説きつつ、地方公共団体と特段に密接な関係を持つ永住者等に選挙権を付与することは憲法上禁止されていないと判示した。なお、憲法93条2項が「国民」ではなく「住民」と規定していることは、許容説を強化する根拠にもなる。」『法律キーワード事典』P38より。
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